昨日書いた、1秒を切り分けているような時間感覚のなかで生きていると、「時間」から解放されたような気持ちになる。
ある意味、毎朝科学・技術の「時間」をリセット、自然、身体の「時間」にセットし直しているというか。
前者は時間に管理されている、後者は時間を管理している感じがしなくもない。
本来であれば、前者<後者なのだろうが、今日の社会を見る限り、前者>後者だ。
もう少し掘り下げてみることにしよう。
1秒を切り分けているような時間感覚のなかで生きているということは、意識が自然、身体に同化していることでもある。つまり、意識が内面に向かっているのですね。
昨日の例で言うと、15秒の間にどれだけの身体の動き(作業)をしているのか知っている。それも環境、場、空間に合わせて。
面白いことに、急いでいるときなど、身体の動き(作業)を科学・技術の「時間」に合わせているとうまくいかないことの方が多い。
それに引き換え、意識を自然、身体の「時間」に合わせていると、思ったより早く終わり、不思議な感じに包まれる。
このように、いつの間にかこうした時間感覚からあらゆる物事や事象を考へる自分がいます。
ありがとうございます。