2016年2月アーカイブ

昨日書いた、1秒を切り分けているような時間感覚のなかで生きていると、「時間」から解放されたような気持ちになる。

ある意味、毎朝科学・技術の「時間」をリセット、自然、身体の「時間」にセットし直しているというか。

前者は時間に管理されている、後者は時間を管理している感じがしなくもない。

本来であれば、前者<後者なのだろうが、今日の社会を見る限り、前者>後者だ。

もう少し掘り下げてみることにしよう。

1秒を切り分けているような時間感覚のなかで生きているということは、意識が自然、身体に同化していることでもある。つまり、意識が内面に向かっているのですね。

昨日の例で言うと、15秒の間にどれだけの身体の動き(作業)をしているのか知っている。それも環境、場、空間に合わせて。

面白いことに、急いでいるときなど、身体の動き(作業)を科学・技術の「時間」に合わせているとうまくいかないことの方が多い。

それに引き換え、意識を自然、身体の「時間」に合わせていると、思ったより早く終わり、不思議な感じに包まれる。

このように、いつの間にかこうした時間感覚からあらゆる物事や事象を考へる自分がいます。


ありがとうございます。

最適なパフォーマンスで配達するとどうなるか。

それは、配達時間の短縮につながるんですね。

店によって、配達エリアが決まっており、そこからさらに112区というように配達する区域が分けられています。

長いことやっているので、ほとんどの区域を配達しているのだが、同じ条件の区域はない。

同じ部数でも、家とマンション、住宅地と商業地の割合、地理条件などによって異なりますし、それはそれで面白いですよ。

新しく担当したときは、そりゃあ不慣れなので、時間がかかります。

それから毎日のように時間を計り、順路や経路などチェック、無駄なロスはないかというように、自己ベスト更新を狙うのだ。

そうして、大体ここからここまでで何分というように所要時間が定まってくる。

そうだなあ。

例えば、ある区域なら、「い」「ろ」「は」と分けて、それぞれ804050部(店に戻るのは2回)、または904040部というようになります。

新聞の厚さ、チラシの量によっては、「い」「ろ」の9080部(店に戻るのは1回)もある。

「ろ」の40部にかかる所要時間は10分ぐらいかな。

そうなると、40部÷10分で、1分あたり4軒まわっているわけです。

このことから、1軒に15秒かけていることがわかります。

でも、ちょっと待って。

1軒に15秒かけているわけではありません。

正確には、いま新聞を入れた家から次の家のポストに新聞を入れるまでです。

だが、その家と次の家は隣続きの時もあれば、離れていることもある。

なので、終始15秒間隔ではない。

あくまでも平均というか、目安なので、10秒のときもあれば、20秒かかることも。

よく考えてもみてほしい。

その15秒の間にどれだけの身体の動き(作業)を経ているのかわかりますか。

ここでは、あえて書きませんが。

このようにして、10分単位から1分単位、さらには、1秒を切り分けているのだ。

ふと思う。

1秒を切り分けている感覚をどう説明したらいいのだろう。

ここまでくると、いかに「時間」が科学・技術によって測られたものかわかるだけでなく、時間の持つ自明性と不可解性という二面性につながってゆく。

少なくとも配達している間は、科学・技術の「時間」を生きているのではなく、自分の「時間」を生きているのだ。


ありがとうございます。

一昨日書いた物理の基礎について。

これは中学校で習う距離=速さ×時間、高校に入ってからの加速度などなんですね。

もっとも実際のところ、時間=距離÷速さに加え、重量、加速度、燃費、燃料の残量などを加味します。それだけでなく、バイクの性能を100%引き出せるかどうかにもよる。

積み込みすぎると、バイクがうんうん言うので、最適なパフォーマンスで配達することはできない。

転倒、起こせなくなった新人もいたなあ。

自分の場合は普通二輪免許を持っているので、110ccのバイクを割り当てられており、50ccのよりずっと性能はいい。

だが、長年乗っているとわかることもある。

前のモデルと比べても馬力が落ちていることは一目瞭然で、小回りもしにくくなっているんだよな。

話を戻してと。

積み込めるだけ積み込むのはいいけれど、自分の体重も加わるのですから余計負担を強いていることに気付かない配達員もいる。

はっきり言って、バイクの寿命を縮めているだけだ。

自分は長く乗り続けることを意識して、最適なパフォーマンスで配達することを心掛けています。

なので、何回か店へ戻ることになりますが、この方がトータル、長期的にみれば断然効率がいい。

そんなことを考へながら愛機を駆っているのでした。


ありがとうございます。

昨日の続きです。

長いこと配達の現場に出ることができるためにも、常にバイク、自分は愛機と思っていますが、配達前に愛機の点検も怠りませんし、異変があったら気付きます。

異変があったら即修理に出すというわけではなく、だましだまし乗っているのが現実で、やりきれない気持ちになることも。

配達の途中で、明らかにこれはパンクやなという兆候がみられたら、自分がどこにいるのか、残っている部数といったことなどを含め、総合的に判断、お店に戻ることを最優先に考えるのだ。

当然配達も終えなければならない。

場合によっては、積み込んだ新聞を近くに置いて、身軽にしてお店へ戻る。

だって、そうでしょう。

積み込んだままだと、走れなくなるまでそう時間もかからない。

少しでも長く走れるようにするためにはそれが最善なんです。

最悪だと、救出を待つまで時間がかかり、配達も中断、お届けする時間が遅くなりますから、それだけは避けなければ。

自分で走ってお店まで帰ったこともあったっけ。

指示を仰ぐのもいいけれど、自力でなんとか配達を完遂することがベストというのはいうまでもない。

こうした経験を積み重ねてきて、いまでは何事に対しても最後まで完遂するという意識は確固たるものとなったように思う。


ありがとうございます。

学ぶのは何も自然ばかりではない。

配達で使うバイクを通して、ライディングテクニック、ドライビングテクニックはもちろん、物理の基礎もだ。

25年以上もバイクを走らせているのだから当然だろと思うかも知れないが、わかる人はわかる、わからない人はわからないのではなかろうか。

例えば、スキルはトレーニング(毎日配達)すれば上がると思っていた。

多くの配達員をみてきた立場から言わせてもらうなら、実際はどうもそうではなく、センス、理論(知識)といった要素も関係している。

幸い、これまでに大きな事故もなく、今日までやってきた。

ひやりとしたことは何度かあったが、どれも加速、減速、体重移動といったことで難を逃れているのですね。

自分から事故につながる運転をしていなくても、事故に遭いそうになることもあり、一瞬たりとも気は抜けない。

そうそう。

自分の配達している区域は坂道が多く、雨や雪の時は路面が濡れたり、凍結したりすると、危険が増します。

若い頃はスリップ、転倒、バイクが坂道を滑っていくこともよくありました。

いまでは、さすがにそういうことはなくなりましたが、どう転ぶかで変わってきますし、ぎりぎりまで先述の加速、減速、体重移動などでバイクを操り、被害を最小限に抑えます。

自分が怪我しても、バイクを大破させても仕事に差し支えますからね。

 

そう考へると、ベテランというのは、ある意味、長いこと配達の現場に出ることができた配達員のことを言うのかも知れません。


ありがとうございます。

218日のブログで、早ければ大体2時半頃にはもう配達に出ていると書いた。

この時間は丑三つ時にあたり、怪談で「草木も眠る丑三つ時」という言葉があるが、残念ながら幽霊に遭遇したことはないですね。

あと、必ず目に入るものがあります。

それは月で、毎日違う顔を見せてくれる。

昨日は満月だったので、街灯がいらないぐらい明るい。

だから明るいと満月、暗いと新月ということが自然とわかるだけでなく、新月

だと月の初めということにも気付く。

そして、普段はカレンダーで生活しているのだけれど、外気温や月といった自然に向き合っていると、整合性がとれていない、ずれていることを思い知らされるのだ。

旧暦は月の満ち欠けで暦を数えていたというが、こっちの方がしっくりくる。

他、満月・新月とはどういう状態をいうのかを説明できる方がどれだけいるのだろう。満月は月と太陽が逆方向にあり、新月は月と太陽が同じ方向にあるというように。

こんな感じで、いつも教育と繋げて考へる自分がいる。


ありがとうございます。

遭遇するのはパトロールする警察官、パトカーだけではない。

一番多いのは、猫ですね。

犬は全くといっていいほど見かけなくなった。

遭遇するポイントがあって、配達している区域だけでも10カ所ぐらいある。

名前をつけるまではいかないが、こんな特徴の猫というように区別しています。

ある猫の行動範囲が広いのには驚いたなあ。

走っているときにいきなり飛び出してきて、ぎりぎりのところでかわしたりとか。

なんと猫の集会なるものも目撃しています(笑)

そうそう、一匹の猫との交流が続いている。

猫を見かけたら挨拶するようにしているのだけど、この猫には人の言葉がわかるのか、近付いても逃げなかったんだよな。

いまでは慣れ、その猫のことがわかってきて。

なんていうのかさ、たくましいというか。

猫を飼っているものだから、その違いがよくわかる。

いまでは、決まった時間になるとある場所で待ち構えているので、自分のことを認識してくれているはずだと信じたい(笑)

あと、きつねとたぬきにも遭遇したっけ。

そのときは、まだ生息しているのが信じられなかったぐらいだ。

また再会できるといいなあ。


ありがとうございます。

昨日は街灯を取りあげました。

街灯と言えば、治安を連想する。

そういやあ。

わが町、いや、配達している区域の治安はどうなんやろ。

警察官によるパトロール活動があるみたいだけど、遭遇するのは12回あるか、ないかだ。

ない日の方が多いような。

まあ、必ずしも同じ時間に同じところを通るというわけではないし、毎日巡回しているとは思いますよ。

こればっかりは警察署に問い合わせてみないことにはわからない。

でも、わかっていることがある。

深夜・早朝だけに、同じ警察官がパトロールしているわけではなさそうだ。

そういう意味では、こちらの方が街のことをよく知っているのではなかろうか。

何かあった時のことも考えて、当然交番の場所は把握しているし、どこをどう走れば良いのか、どのルートが最短なのかもわかっているつもりです。

いつも見慣れない車があったらわかるし、車種、時間を確認しておくよう心掛けている。

あと、財布を拾ったこともあるし、おじさんを拾ったことも(笑)

他には、え〜と。

どこそこの家はどんな人が住んでいるのか、家族構成等もおぼろげながらみえてくる。

まだまだあります。

何時に起きるのか、あの家はいつもタクシーを利用しているなとか。

早朝散歩している夫婦、犬の散歩をしているおじさんなどなど。

こんな風にわが町の息づかいを感じているのですね。

ある意味、警察官のパトロール活動をしているようなものだし、警察官になった気分を味わえる。

 

さあ、明日も出動!!


ありがとうございます。

そうそう。

25年以上も配達しているので、街がどう変化していったのかもよくわかる。

同じ時間に、同じ区域にいたら、それはもういわゆる定点観測ですな。

その一つに街灯があります。

気付いたらいつのまにかLED(発光ダイオード:light emitting diode)になっていた。

配達で走っていると、一本の道路に沿って、はるかむこうまで点いているのが嫌でも目に入る。

それほど強烈なんですね。

一瞬車のヘッドライトかと見間違えることもしばしば。

維持保守の費用を省くため、省エネのためとはいえ、なんだかなあ。

事実、危険が指摘されている。

気になったらググってみてほしい。

ある配達員は気分が悪くなるというからあながち外れていないのかも。

 

2012614日のブログで、政府が白熱電球の製造、販売の自粛要請を出したこと、欧米では電球型蛍光灯がかなりの問題になっていることを紹介したのだが、こちらもあわせてどうぞ〜。


ありがとうございます。

昨日、ポストに入れるまでが勝負と書いた。

いい機会なので、ポストについても思うことを。

ポストは横向きに入れるタイプがほとんどと思うのですが、近年では縦向きに入れるタイプも増えてきた。

気になって、ググってみたらあるわ。あるわ。

結構あるんやな〜。

なかには、配達員泣かせのポストもあるのですね(笑)

朝刊の配達は暗いので、ポストがどこにあるのかわからないというか。

どうやって入れるのかわからないのもあったなあ。

わかったらなあんだと思うのですが、仕事中にわからないとパニクるものです。

そして、雨の時にもポストは容赦なく立ちはだかるのだ(笑)

瞬時に入れるだけでは成功しない。

ポストのこともわかっていないとあかんのよ。

雨によってポストの状態も変化するので、新聞を手に取る前に確認しないとあきません。

ずっと雨が降っているとポストについている水滴もかなりのもので、新聞が水滴を吸収してしまうともうあかんのですわ。

にじむぐらいならまだしも、破れるぐらい吸収してしまったらもう読めませんし、商品としての価値がなくなります。

雨の日の配達には、こんな風に格闘していることをわかってもらえたのではないでしょうか。

 

配達する立場から言わせてもらうと、新聞のことを考えた作りになっているポストはそうないんじゃないかとさえ思える。

入れるところが広い作りになっているのはあっても、雨の時の配達までは考慮されていない。

 

そこでだ。

配達員がおすすめするポストがあってもいいんじゃないか。

それだけでなく、ポストソムリエを名乗るのも面白い。

そりゃあ、そうでしょ。

これまでにたくさんのポストをみてきているんですから。

 

今日も配達をしながらそんなことを考えているのでした。


ありがとうございます。

昨日の続きで、雨を取りあげよう。

雨合羽を着て配達しているのですが、傘を差しているのとは違い、直に雨に打たれているので、雨といっても一度たりとも同じ雨はないことを知っている。小粒で落下速度の速い雨、大粒で重たい雨、大粒でも弾けるような雨、突き刺さるような雨などなど。

毎日雨だと嫌になることもしょっちゅうだが、最初の頃は雨を憎んだり、恨んだりしたものだ。

しかし、いまでは積極的に雨と付き合うようにしている。

雨に打たれていると気持ちがよく、心が洗われるような気持ちになるからなんとも不思議です。

街を洗い流してくれるだけでなく、浄化してくれているようにも思える。

それ以上に、自然のすごさを実感せずにいられない。

通常の配達時間は2時間半位だが、雨だと3時間以上はかかるのですね。

3時間も広範囲にわたって降り続けているのですから、どんだけあるんだ、どこから湧いてくるんだと思いたくなる(笑)

話を戻してと。

いかに新聞を濡らさずにお届けできるか、これが難しい。

雨ポリが必要な家はいいのだが、そうでない家はポストに入れるまでが勝負。

バイクの前カゴから出して、瞬時にいれないといけないのだ。

ところが、いまではもうその必要がなくなっています。

昔と違い、雨が降ると全部雨ポリに入れるようになったのだ。

なんて楽なんだろうと思いますが、自分はいまだにそのままお届けしています(笑)いまでは新聞が届くと、配達員が新聞を雨ポリに入れる機械に並ぶ光景は珍しくなくなった。確かに便利にはなったけれど、配達員の質や技術がさがったことと無関係ではないと思っています。

 

そうそう。

いまでは、雨に関係する言葉がよくわかるようになっています。

雨あがり、雨足、雨だれ、雨模様、雨宿り、喜雨、霧雨、小雨、小糠雨、小夜時雨、時雨、篠突く雨、驟雨、秋霖、涙雨、氷雨・・・。


奇しくも今日は雨水か。


ありがとうございます。

新聞配達をしていると、自然と向き合うことになる。

いつも起きるのは2時すぎで、早ければ大体2時半頃にはもう配達に出ているわけだが、早朝の新鮮な空気にふれていると気持ちがいい。

こんな生活をしているものだから、肌で外気温がわかるようになった。

今日は2℃位かなという具合に。

さらに言えば、0℃、−1℃を知っている

言葉、数値としてではなく。

そう言えば、先月の大寒波は大変勉強になった(笑)

0℃だと雪を期待するのだが、降らないとどうしてなんだろうとか考えたりする。

他にも、これは雨が降るなとか。

天候や気温条件で道路の状態が変わってくるので、それは走り方、順路というか配達ルート、積み込む新聞の部数にまで及ぶ。

それだけでなく、身につけている衣服も調整して体温を調節するなどしている。

理科で天気を習うよりはるかに実践的だ。


ありがとうございます。

思うところあって201478日から1年半以上も投稿してなかったのだが、再開することにしました。

 

知っている人は知っているのだが、自分は16歳の頃から新聞配達をしている。かれこれ25年以上になり、気付けば、始めた頃からいた配達員のほとんどは消え、とうとう昨年は長くいた2人(70歳前後だったと思う)が身体のこともあって離脱した。配達している区域を見渡してみれば、自分はもうベテランの部類に入るのだろうか。いや。もっと言えば、きこえない人でこう長くも新聞配達しているのは他にいないだろう。

新聞配達をしていて思うことはいくつかあるので、それを書けるうちに残しておこうと思う。

ご存知のように、新聞配達に休みはない。

休刊日があるだろというつっこみはなしで。

雨だろうが、雪だろうが、風が強かろうが、台風だろうが、である。

そんな時は休みたくなるけれど、そうはいかない。

やる気を奮い立たせて、一軒一軒とお届けするのだ。

目を瞑ると思い出されてくる。

この時期であれば、雪が降るなかをバイクで配達していて、もうこれ以上は進めないぐらい積もったとき、新聞を脇に抱え、配達し終えたこともあったっけ。

いまではもうそんなに積もることはなくなった。

雪が降る地方の配達員には頭が下がる思いです。


こんな感じですが、しばらくお付き合いください。


ありがとうございます。